朝夕めっきりと寒くなりました。
だんだん室内の窓が開かなくなる時期でもありますが、朝一番窓を全開にして空気を入れ替え着替えをしましょう。このことにより大きな皮膚刺激が発生し、子どもはもちろんのこと大人だって脳が活性化します。すばらしい子どもの育ちと健康管理の為にも習慣付けましょう。
それともう一つ。寒くなると朝お湯で顔を洗う子が増えてきます。脳の活性化や子どもの育ちの為には絶対に水で洗わせましょう。毎朝湯で顔を洗っているとだんだん思考が鈍磨になっていきますよ・・・。冷たい水で洗わせることこそ親の愛情です。
 さて、先日テレビで子育てが楽しく思えないという若いお母さんが増えていると報じていました。その理由として「子どもが言う事を聞いてくれない」というのが一番多くて、次いで「自分の時間がない」、「自由に出掛けたり遊べない」、子どもとの会話が成立しない」etcの順でした。
この理由を聞いて感じる事は年齢によってかなり違うようで、60代の方は「なんてことでしょう。母親なんだから当たり前よ。それは母親のわがままよ」とおっしゃいました。ところが20代のお母さんは「そうよね。私もそう感じる事があるよね。子育てって自分を犠牲にする部分が多いものね・・・」とおっしゃいました。
この意見の差の原因はどこにあるのでしょう。私が考えるにいくつかの原因が思い浮びます。
 その1は、家族構成員の違いです。
昔は3世代同居も多く、母親が家事などで手を放せない時などだれかが応援してくれたものですが、現代の核家族化した家庭では、母親が同じ時間に全てのことをしなくてはならないということです。
 その2は、共働き家庭の増加です。
両親が働く事で家庭での家事・育児にかかる時間の減少し、家事の何かを端折らないと時間がないということと、母親そのものが仕事によって疲れているということです。
 その3は、母親の育ってきた時代そして生活環境の違いです。
この時代の違いという意味は大きく、単に文化・文明違いだけでなく、人間の意識や道徳観、価値観等にまで渡っているように感じます。
まず生活環境を眺めてみますと家事そのものの労働量は過去の方がずっと多かったように感じます。何をするにもそこに行って、人間の手を介さないと出来ない時代でした。ところが現在はそのほとんどが電化・機械化され、スイッチ押すだけ、さらには椅子に座ったままリモコンでスイッチポンで何でも可能な時代となりました。よって現代生活の中で一つ一つ直接手を入れなければならないのは育児くらいです。とにかく人間がこまめに動き回ることが必要のない時代と言えるでしょう。
 でも考えて下さい。生活のほとんどが電化・機械化される歴史と一緒に生きてきた者は、そのことでずいぶん便利になり家事労働の軽減、そしてそのことで空く時間の存在を感じられるのですが、そうなった時代に生まれた人たちにとってはそれが当たり前で、何でもスイッチポンで自分の思い通りに機械が動く生活の中、子育てのように何かとこまめにかかわらなくてはならないことには大きな負担感を感じ、思い通りに相手が動かない腹立たしさや、泣く子を静かにさせられないという能力・知識的な失望感を感じてしまうのも無理からん事かもしれません。昔は家事の全てにこまかい労働があり、そんな中の子育てにかかる労働はそれほどのものに感じなかったのかもしれません。ところがスイッチポンの時代、自分自らが子どものところに行って直接的なかかわりを持つと言う事は、現代人にとっては生活の中で特別に大変な作業に感じられることなのかもしれません。
仮に子どももスイッチポンで自分の思い通りに動かせたら・・・・。
きっと今問題になっている育児ノイローゼや虐待など発生しないのかもしれません。これらは何でも思い通りになる時代に育った人間形成の影の部分なのかもしれません。

つづきは来月・・・・              
子育てって 大変?

No.7 (h13.10)