お子様をお持ちのお母様に、「このお子さんを誰が育てていますか?」という質問をしますと、ほとんどのお母様が「私です」とおっしゃいます。さらに「お母さんだけですか?」と聞くと「イヤー主人も少々」とか、保育園の先生」という返事が返ってきます。
本当にそうなんでしょうか?
私はそれは誤った考え方だと思っています。
実はお母さんもお父さんも保育園の先生も、その子どもに対するかかわりのほとんどは、「育てている」ということではなく、「お世話している」のです。育てるというのはお世話とは違います。
ちょっと考えて頂きたいと思います。それは、仮に木を植えたとします。その木に水をやり多少の肥料をやり日光を当て大きくすること、これを何と言うでしょう?これはお世話です。お世話というのは、その対象物の基本である生命維持というものをどう守るかという取り組みです。前に言った水をやったり日に当てたりするのは枯らさない為の行為ですからお世話なのです。じゃ、育てるとはどういうことをすることなのでしょうか。先の例でお話するならば、植木屋さんは幹を太くする為には上に伸びる枝を落として幹に栄養が多くいくようにします。反対に高く伸ばそうとすると下の枝を落として上の枝葉に栄養がいくようにします。こういった木を枯らさないようにするかかわりではなく、木をどのような形にするか、そしてその為に何かする活動が育てるとい活動なのです。子どもに食物を与え、運動をさせ、衛生に気を配る。これらは生きてる子どもを生き続けさせる為のお世話なのです。
では子育てにおいて育てるということは何なのでしょうか。子どもはいろんな刺激(人との会話やかかわり、おもちゃや教材等子どもの周りにある全ての物)を子どもが吸収をし、自分の中で消化し、それらを栄養分として人格や性格、技術・技能を作るのです。よって、こんな子にしたいあんな子にしたいと親が思ったとしたら、子どもに与える刺激を吟味して、そうなるための子どもの育つ力を育てなくてはいけないのです。大きく言えば生きる為には人の世話がいりますが、育つためにはいろんな環境そしてそこにある刺激が必要なのです。
環境が子どもを育てるのです。
よってその環境が吟味されないで与え続けられれば、枝葉のそろわない細いかっこうの悪い木のように、人間だってなってしまうのです。
最近心配していることがあります。それは大人になりきれない大人が多くなっていることです。いつぞやの成人式のドタバタも大人になれない若者が引き起こしています。大人という定義は大きくいろんな意見がありますが、私はある程度周りが見え、他人に配慮が出来、立場がわかり、今何をすべきか、今何をしてはいけないのかといったことがわかり、自分を多少なりとも律することが出来るのが大人と考えています。しかしそういった若者(20代)が増えています。なぜ大人になれないのでしょうか。私はその一番原因は同居家族という集団にあると思っています。昔に比べ家族成員は確実に減ってきました。これは時代の流れによるものでしかたがないことですが、そのことも理由の一つで家庭から会話がどんどん減っています。そしてその家族の団欒そして会話の変わりをテレビが代行しています。これが最大の問題点です。
テレビは家族の向かい合い、語り合う場を奪い、そこで子どもが学んでいた親の姿や大人とはといった学習経験をも奪ってしまいました。家族団欒はみんなでだまってテレビを見る。子どもはその現実感のない社会や大人を本当の大人・社会として学習してしまいました。その結果テレビを手本とした、テレビに育てられた子どもが大人になり、現実社会とのギャップに直面しトラブルを起こしています。
家族構成員を増やすことは現実感としては難しいですが、家族が同じテーブルで同じ話に興ずることは今からでも可能と考えます。現代社会のおかしさは、会話や団欒のない子どもにとって大切なものを学ぶ事の出来ない家庭によって作り出されたように感じます。   
子どもが育つとは・・・

No.3 (h13.6)