しばらくこの「子育てアドバイス」が音信不通でしたが、やっと再開します。
実は私が園で仕事をはじめてから25年になりますが、その最初の年より園で毎月保護者に配布する「園だより」に子育てアドバイス的なものを現在まで書き続けております。
今回からその25年間の園だよりから、是非知っておいて頂きたいものをピックアップしてこのページに載せていこうと思っています。
1回目は先月の園だより(HPの園長のおたよりとほぼ同一)の話題を載せました。
最近ずっと感じていることがあります。それは子どもが全体的に幼くなっているということです。
中学校・高校・大学生あたりが幼くなってきているというのはだいぶ前から言われていることですが、それより前の年齢の子はある程度の発達的な個人差というレベルということで解釈されて来ました。
しかし我々保育の現場においても、だんだん子どもの育ちが悪くなってきていることが目につくようになりました。それはおむつが取れたか取れないかという外的なものではなく、精神発達という内面的な部分なのです。
それは子どもが表すわがままの強さであったり、集団不適応の状態であったり、非常に唐突な動きというところで感じます。
もちろん子どもはわがままで、強引で、そう簡単には集団適応出来ない部分は持ち合わせていますが、最近この限度を超えた状態を示す子が多くなって来ました。この子たちを病院や児童相談所等に連れていくと多動児とか自閉児とか、LD、ADHDとか言われることが多いようですが、私はその子の持つ育ちの悪さがたくさんある中での大きな一つの原因と感じています。
ではその育ちの悪さというものはどんなことを意味するのかというと、親子関係の中で安定的に安心・喜び・満足といったものが与えられなかった、もしくは少なくとも子どもを安定させるには足りなかったということだと感じています。子どもの発達は多面的なものですが、それら全ての発達の原動力は、安定した親子関係なのです。
子どもは親と共に生き、育つのです。そしてその育ちにはバランスが必要です。
今親と子どもの関係の中で満たされているのは、身体的な成長を支える食だけなのではという不安を感じています。子どもに何かを食べさせ、そして寝せることが親の責任と感じ、親と子の大切なかかわり、会話やスキンシップ・読み聞かせ等々、子どもの精神発達に欠かすことの出来ない行為が不足していると感じます。「子どもとかかわって下さい」と訴えると、「では子どもを連れてショッピング・動物園・水族館・公園に出かければ良いのでしょ、そんなことはいつもしています」と言われることが多いものです。
どこかに連れて行くことが子どもとのかかわりと感じていることが間違いだと私は感じています。
どこかに連れて行かなくてもいいのです。親子で言葉のキャッチボールが出来るならば・・・・・・。
家では子どもと話すことはほとんどなく、かける言葉は指示・命令だけという親も多いようです。子どもと話す、じゃれあう、本などを読み聞かせる等が親子のかかわりなのです。
「みんなでテレビを見ながら楽しい団欒」なんてのは、よっぽど家族全員の共通話題でもない限りありえません。テレビを消してみんなで語り合うことこそ団欒というものだと思います。
育ちの悪い子はどこかで意図的に修復してやらないと、ずっと育ちの悪さを引きずって行きます。ほっといて自然に元に戻るなんてことはないのだということを知ってください。
すばらしい可能性を持って生まれたにもかかわらず、その可能性を親が壊すことは悲劇以外の何物でもありません。
今日子どもと何のお話(言葉のキャッチボール)をどのくらいの時間しましたか? |