前回はテレビが家庭という大切な集団を壊してしまうという話をしました。
 今回はテレビが与える子どもたちの発達への影響をお話しましょう。

 テレビが与える子どもの発達の影響で一番大きいのが、子どもとの会話と子どもと顔を見つめ合うという行為がなくなってしまうことです。
 特にこの影響が強いのが乳児の頃です。昔は子どもの顔を見ながら、声をかけながら授乳という行為が行われたのですが、テレビの登場で授乳中でも親はテレビを見ながら、もしくは見ないまでもテレビをつけっぱなしで授乳をされることが多いようです。親の感覚としては、子ども自身がまだ何も認識できない時期だからという意識があるのかもしれませんが、これはとんでもない間違いで、乳児はしっかりと母親の顔を見、母親の言葉を聞いているのです。
 ところが母親がテレビを見ながらもしくはテレビをつけっぱなしにして授乳をすると、乳児は母親の存在や言葉を認識することができず不安定な精神状態になります。
 実は乳児の発達の原動力は母親との暖かいきずなを感じることなのです。
 このあたりは動物的と言っていいほど観念的な世界ではありますが、乳児の本能的な欲求がテレビという機械により満たされず、最終的にはゆがめられていくのです。
 母と子の動物的な感覚的つながりは子どもの成長・発達には欠く事が出来ないのです。
 乳児は言葉や接触だけではうまく育ちません。母親の子どもに対するいとおしい気持ちが、乳児にテレパシーのように伝わり、そこに発生する目に見えない、肌で感じることの出来ない親子の空気が乳児を育てるのです。
 そしてそれを遮断する一番の原因が、テレビ等の視聴やテレビからの騒音なのです。このことにより母親の視線や気分が乳児から離れてしまい、乳児はそれを敏感に察知してしまうということなのです。

 また、言葉というものは耳学問で、親から掛けられるたくさんの言葉を乳児は蓄積していき、発語の時期になるとそれまでに蓄積してきた言葉を関を切ったように使い出します。
 ところがそれまでに蓄積のない子、いわゆる乳児の時期に親から語り掛けられることが少なかった子は、使う言葉が蓄積されていないので当然言葉が発生しません。このことはそれ以後の言葉の発達には大きな影響を引き起こしてしまいます。
 さらに、この時期を無事にクリア出来たとしても、家庭そのものがテレビに毒されて会話というものが減少していると、その先に学習しなければならない大人の会話というものも習得できず、いつまでも会話にならない言葉での会話しか出来ず、大人になって社会適応が出来なくなる恐れもあります。
 現在大学を卒業して就職する者の中で、営業という会話が中心の職種についた子の多くが大人の会話が出来ず転職やフリーターへの道を歩んでいる現実は、子どもの頃からの言葉そして会話の学習経験の不足が大きな要因と考えられています。
 親のこういった無知識が社会に適応できない子どもたちを作り出しています。
 今一度考えて欲しいのです。テレビは見ている側の意志で消せるのです
  
 ついでにテレビゲームについてもお話ししましょう。
 テレビゲームの害は多岐に渡ります。
 まず内容ですが、基本的にはバーチャル(仮想現実)の世界ですから何が起きても(対戦ゲームで負けたとしても)わが身に何ら危険が及ぶこともなく、死んでも・死んでも生き返る(リセット)ことが出来ます。
 こんなことは誰でもわかっていることではありますが、子どもたちにとってはそれが現実と仮想のはざまでわからなくなってしまうことも多く、現実的に自分のしていることがどんな責任を負わなくてはならないのかを、実感することが出来ない状態を作り出します。
 多くの少年犯罪の加害少年が「死ぬとは思わなかった」と発言することも、警察に補導されても自分の罪の意識を感じれないことも、子どもたちが現実社会に生きていながら、仮想社会でしかものが感じれないという現実の表れだと感じます。

 行が足りなくなってしまったので、次回もこの話題でお話します。
テレビの脅威 5

No.32 (04. 5)