前回はテレビという機械が与える人間への危険性についてお話ししました。
 今回はテレビという存在が与える家庭生活や子どもの発達への危険性についてお話ししましょう。

 テレビを家族団らんで見ている姿というのは、ファミリアルで幸せな家庭を象徴する姿として認識されることは多いようです。しかしその景色を良く見てみると団らんとは言えない現実に気がつきます。それはみんながテレビを見ていて誰一人として家族の顔を見ている者がいないという現実です。
 団らんとは家族が一箇所に一同に介し、みんなの顔を見ながらみんなで話をしたりする時間の事をいいます。
 そうなるとテレビを見ながらという状況は団らんとは言えません。映画館で知らない人と並んで映画を見ているのと何ら変わらないと言ったら言い過ぎでしょうか・・・・・。
 とにかくテレビを中心に団らんが成立しているということは、その状況下の中で家族間の会話はほとんどないということで、さらに家族みんなが一同に会して顔を見合うことすらなくなっているということです。
 最近子どもの顔をまじまじと見たことがありますか?
 小さい年齢の時期には結構見る機会があるようですが、小学校になると漠然と見てはいてもしっかり見ている親は少ないようです。中学生や高校生ともなると、テレビを見ている横顔か後姿しか見ていない親も多くいらっしゃいます。
 よく子どもが何らかの事件を起こすときに子どもからのサインを見落としたと言われることがありますが、子どものサインとは子どもから何らかの訴えをしてくるということではありません。日頃の状態に何かしらの変化を見せることなのです。
 日頃みんなでテレビを見ながら全ての生活をしていると、日頃の様子というものを認識することが出来ず、子どもが何かしらの変化を見せたとしてもそれには当然気付かないということになります。
 通常の子どもの姿を知らない親に子どもからのサインなんてわかるはずがありません。
 毎日子どもの顔をしっかり見つめ、いろんなことを話すということが親子関係の中にあることが必要なのです。
 さらに食事の時間にもテレビがついていて、食べながら、テレビ見ながら食事をしている家庭は非常に多いようです。
 食事中にテレビを見ているということは、せっかく家族が会している場面において家族の会話というものが奪われることになりますし、栄養学的に見ても、食べ物の味・形等を認識しないでもくもくと口に運び、意識はテレビにいっていますから消化等にも少なからず影響がでます。
 最近「食育」ということで食が育てる大切さというものが話題になっていますが、テレビを見ながらの食事では育つものも育たないということになってしまいます。
 とにかくテレビというものは、そこにいる人間の目や耳を独占してしまい、人間社会で一番大切な会話や相手と見つめ合うという行為を奪っています。
 特に会話をいまから習得しなければならない子どもたちにとっては、大きな障害となっています。
 会話が出来ない子、言葉の語句の少ない子、物事をふかく考えることの出来ない子、文章が書けない子、応用問題のの文章が理解できない子、覚えるのはうまいが理解するのがへたな子がどんどん増えてきています。
 その原因は家庭での会話の減少が最大の原因です。そしてその会話を奪ったのがテレビなのです。
 親がテレビを見ながら子どもにミルク(母乳を含め)与えると、乳児の発達が遅れていくのをご存知ですか?
 授乳の際にする親の語り賭けや子どもの顔を見つめる行為は、乳児の精神的安定の為には欠くことのできない行為なのです。
 先日小児科医会が「3歳未満児のテレビ視聴は言葉の遅れをまねいたり、人間関係構築能力が低下するので見せない方がよい」と新聞に発表しました。我々と同じく子どもにかかわる仕事をしている者にとっては、最近の子どもたちの変化は脅威にあたるものなのです。
  
 この問題は単にテレビが子どもの発達を阻害するということでなく、家庭や家族といういとなみそのものがテレビによって破壊されようとしているのです。
 
テレビの脅威 4

No.31 (04. 4-2)