テレビの害に何種類かあるとは前回書きました。
 今回はその一つ目の、テレビという機械そのものが与える人間への影響についてお話しします。 
 
 人間は人間に備わっている五感(視覚・聴覚・臭覚・触覚・味覚)という五つの感覚機能を活用しながら生活をしています。この五つの感覚機能はいろんな物や出来事に対する判断材料収集に使われます。ということは判断をしているのは脳ですから、この感覚機能から得られる情報全てが脳に対して届けられ、この情報を元に次の行為や思考というものに転換されます。こういった情報を収集・伝達するメカニズムを学術的には「刺激」という表現をします。(以降刺激という言葉が出たときにはこういった情報のことだと理解してください)
 ところが脳というものはこの外的刺激が一度に大量の刺激を送られたり、定期的に送られてくるイライラする原因に対し非常に弱い面を持っており、この弱い面に大きなダメージを受けない為に、自己防衛的に本人にわからないところでいろんな防御策をとります。この防衛策とは一般的に「慣れ」という言葉で表現されるのですが、線路の側に住んでいる人が生活を始めて2週間程度で列車が通っていることに気付かなくなるということや、本来的には精神的に疲れているのに疲れを感じないといった状態を作り出します。
 ただこの慣れるということは、刺激が届かなくなることでは決してなく、刺激は届いているけれど、脳がそれらの刺激に対していちいち対応しなくなるということで、言い換えるならば脳の自己防衛策として脳の感覚反応を鈍くさせているということなのです。よって刺激は五感より確実に脳に届いているわけですから、必然的に脳の疲労(興奮)は蓄積されていきます。
 ところがこの疲労(興奮)は脳が感じていることで本人にはあまり意識できないことで、知らぬまに・・・・・ということなのです。
 そしてこの脳の疲労(興奮)の蓄積の怖いところは、人間の感覚や感情の爆発(俗に云う「すぐ切れる」という状態)を発生しやすくしてしまうということなのです。特に感情の爆発はそれに伴う行為が反社会的行為になりやすく、現在巷の新聞をにぎわしているカッとなっての児童虐待や各種暴力事件も、引き金的な原因は別にあっても、そうなる根底の原因はこの脳の疲労(興奮)と考えられるのです。

 テレビという機械は絵(動画)と音で成り立っています。よってテレビを視聴するということは、この2種類の刺激を脳に与えているということです。
 このテレビですが、日々見ている人間にとってはなんら疲労(興奮)を感じるものではありません。ところがこのテレビからの刺激というものは非常に大きいものなのです。特に視覚的においては色がたくさんあり、その上動くということで、非常に大量の刺激が脳に送られることになります。この刺激の量は半端な量ではなく、脳にとっては大きな疲労(興奮)を与える機械なのです。よって最初は見ている本人に対して疲労感(興奮感)を感じさせ、そろそろテレビ視聴を止めようと脳が本人に促します。しかし本人がそれにかまわず見続けますと、脳は促すことをあきらめテレビを見ることから与えられる刺激を受け止める脳の場所を鈍くさせていきます。聴覚も同じで刺激過多を防ぐ為に同じく鈍くさせていきます。
 この鈍くした部分は本来ならテレビ視聴が終わり体を休めれば脳の方で再度復帰させるのですが、日常化してしまう(慣れてくる)と復帰させなくなり、あらゆる思考や判断においても鈍さを持続させるようになります。
 特に発達途上の子どもたちにとっては大変なことで、感覚・感情的に疲労(興奮)状態を継続的に与え続けることになり、発達障害や感覚障害・脳波異常等を発生させる恐れにもなります。
 子どもの事件の歴史とその時代を当てて考えてみると、テレビが登場し、それがカラーとなり、大画面化していくなかで、子どもの事件も短絡的・感情的・突発的・無思考的になっていっているのがわかります。全てがテレビのせいとは言い切れませんが、結構大きな位置を占めているように感じています。
 このまま状態を放置するということは、本質的におかしな人間を作り出していくことになり、今後の社会の成り立ちにも大きな変化を与えることになります。
 たかがテレビと言われますが、将来の日本のあり方を左右する機械であることも理解すべきと考えます。
 思考能力を低下させ、ピリピリとした感覚的興奮を持ち続けさせる原因に、大きな顔をしたテレビがいることを知っていただきたいと思います。
テレビの脅威 3

No.30 (04. 4-1)