世の中を唖然とさせた長崎の事件に判決が出ました。
 児童自立支援施設への送致と1年間の自由剥奪というものでした。
 家庭裁判所として苦肉の策といった判決でした。日本の法律において14歳未満の児童の犯罪は罰しないという大きな壁を前に苦渋の決断のようにも見えました。
 ところでこの事件で一つ気になったのがこの子の精神鑑定結果で、「発達障害」という言葉が使われました。
 この「発達障害」(学習障害と呼ぶ学者さんもいます)という障害の統一的な定義はまだ確立されてはいませんが、私はこの「発達障害」を簡単に言ってしまうと、発達領域全体のバランスの悪い子というふうにとらえています。(いろいろ諸説はあるようですが・・・)
 子どもの発達というのは非常に多岐に渡り、身体面はもちろんのこと機能面や学習面、情緒や感情といった面まで含みます。
 子どもが普通の環境で、親やその他の大人との普通のかかわり合いがあって、それなりの発達へのケアがあれば、それなりのバランスで全ての分野がある程度均等に育って(発達して)いくものです。
 ところがこの発達全体の中で、子どもの発達の為に与えられるべき何かが与えられなかったり、少なかったりした場合、子どもの発達はアンバランスになってしまいます。
 このアンバランスが小学校に上がった年齢になると少しずつ表に見えてきます。
 勉強は出来るのに人とうまくつきあえないとか、見たところ全くおかしくは見えないけれど学習的な(記憶力や理解力)面のみが極端に落ち込んでいるとか、歳食ってる割には発想や思考が極端に幼いとか、我慢やルールが守れないとか、怒られたり気まずいことがあった(俗に言う頭に血が登ったとき)時にパニック状態に陥ってしまう子等々です。
 最近の起こる事件を眺め見ると年齢に関係なく(但し30歳台までの犯人に限りですが・・・)犯人自身に発達障害的なこの傾向を感じます。
 また事件こそ起こしませんがそういう危険性を感じる子どもや大人に出会うこともたびたびです。
 
 ではこういった障害になってしまうのは何が原因なのでしょう・・・・。
 私はこの発達障害を作られた障害と認識しています。
 もっと極端な言い方をすれば、健康に生まれてきたかわいい我が子を親が障害児・者にしてしまったということです。
 なぜならばこの障害は、親がある程度子どもの育ちやその育ちの為にしなくてはならないこと、そして整えなくてはならない環境を成長・発達途上の子どもの為に提供しないことで発生してしまうからです。
 そしてこの障害の怖いところは、体重のように食べれば太り食べなければやせるというすぐに目に見える形で現れず、与えるべきものが仮に足りていなくても子育て真っ最中の乳・幼児期にはその弊害が見えてこないということです。(見るべきものが見た場合は見えるのですが・・・・一般の保護者の方々には無理と感じます)

 ではどうすればこういった子をつくり出さずにすむのでしょうか・・・・・。

 長くなりますので次回しっかり書きます。
発達障害

No.25 (H15.9)