ちまたでは低年齢の子の殺人事件が続発しています。
 何が子どもをかえてしまったのか・・・・、今真剣に社会全体で考えなくてはならない時にきているように感じます。
 子どもを変えようとすれば親や先生がが変わらないと(変化を起こさないと)変わりません。親や先生が変わるには生活が変わらなくてはなりません。生活を変えるには社会が変わらないと変わりません。
 これは全く逆も言えます。
 社会の変化が生活を変化させ、その変化が親や先生の思考や意識を変え、そしてその結果子どもが変わってしまった・・・・・。
 この変化の最大の立役者が高度成長であり、高学歴化であり、成績偏重の思想であり、平和で物質的に満たされた社会であり、家族間の役割や構造の変化であります。
 そういう面で考えるならば子どもの変化は当然のことで、こういった事件の発生は戦後50年の日本人とその生活変化の産物であるとも言えるのではないでしょうか。
 
 そんな中今の子どもたち(大学生を含め)に共通している不得意な部分があります。
 それは「人間関係の構築」です。
簡単に言うならばコミュニケーション能力の低下です。
言葉を知らない、会話になっていない会話の横行、共存する為のノウハウが学習されていない、組織という団体生活になじめない等が、いろんなトラブルを発生させています。
 なぜコミュニケーション能力が低下したのでしょうか・・・・。
 その最大の原因が家庭内においての会話が減少したことだと感じます。
 そしてその減少を作ったのがテレビです。
 一日のほとんどでテレビがつき、それは食事中にも及び、家族が顔を見合いながら会話を食事を囲むという家庭内における大切な「だんらん」の機会さえ奪われつつあります。
 家族が会話を交わさないのですから言葉を覚えることも出来ず、子どもは子供同士のつたない会話で会話力を育てるしかないのです。
 会話力は大人との会話の中で身につくのです。大人との会話で間違った言葉使いや思考の違いを注意されることで、人にものを伝える伝達能力が育つのです。
 自分の思いを正しく他に伝えるという技術は、親子関係の会話の中で作られていくのです。
 ひきこもりやいじめの原因を分析的に探ってみますと、必ず子どもの言語能力の未熟さが生む誤解や不満、不安に突き当たります。
 言葉そして会話能力は前回にも書きましたが「耳学問」なのです。
聞いて・話して覚えていくのです。 よって当然テレビとは会話が出来ませんから、家族全員がテレビを見ながらの生活をする限り、家庭の中では言語能力は育たないことになります。
 じゃどこで学ぶか・・・・・
 現代の生活を見渡してみると結局家庭しかないのです。
 「家庭の中から会話がなくなる」ということは、単に子どもたちに言語能力がつかないということだけでなく、それを原因に子ども社会にいろんなトラブルを発生し、そういったことでの子どもの精神的なストレスやダメージが「事件」というものを引き起こす要因にもなるということです。

 現在の家庭状況の中で会話だけを増やすことは不可能です。増やす為にはそれなりの時間が必要で、それは意識して作らざるを得ない時間であると考えます。
 
 せめて食事の時間はテレビを消して、家族全員で話をする時間として設定すべきであると感じます。

 事件が起きて「こうすればよかった・・・・」と考えても遅いのです。
 そうならないために何らかの手立てをすることが、賢い人間のする営みと感じます。
ことばの科学 2

No.23 (H15.7)