「 育つためのの土台 6 「視覚 1」 」
さて今月は見る
(視覚
)機能についてお話しましょう。
視覚というものは年齢と共に何かが出来るようになるような機能ではなく、出生4ヶ月にもなれば聴覚や触覚などの感覚機能と同じく、大人と同じ能力になります。ただこれらの感覚機能は情報収集の器官で、見たり聞いたり触ったりした情報を脳に伝え、脳が見えたものは何か、聞こえたものは何か、触ったものは何かを判断しています。よって視覚いわゆる目は単なるカメラのレンズと一緒で、目に見える景色や物体、さまざまな色や動きを脳に伝え、脳が目に見えているものを判断し認識しています。特に視覚は他の器官の数倍の情報量を脳に刺激として与え、見えたものを脳の中で映像化するために非常に多量の情報を脳が処理しなければならず、脳の活動量の中では視覚からの情報処理に勝るものはありません。なぜならば聞こえる音は全て音波というもので脳に届きますし、触った場合も手や指から得る感触が脳の判断材料です。しかし目に見えるものは、色の変化や物の動きとその速さ等、膨大な情報を脳が必要とする関係で、活動も多く刺激も強く、脳のキャパの大きな部分を使うことになり、脳の疲労も半端なく大きいのです。そしてこの疲労こそが子どもの発達に大きな影響を与えてしまうのです。
人間という動物は自然界の中の一つで、自然の中で共存できるように出来上がっています。例えば暗くなれば眠くなるし、明るくなれば目がさめて活動を始めるように自然の摂理に添うように出来上がっています。ところが人間という動物は他の自然界の動物より脳の発達が高度であったばっかりにたくさんの文化・文明というものを作り出しました。そしてこのことで自然界には存在しない音や景色
(目に見えるもの
)をも創り出しました。
しかしそのことで人間という動物の本質が変わったわけではなく、基本は自然界の生き物の一つのままなのです。よって自然界の中での脳の刺激量のキャパを超える社会を人間が創り出したことで、人間の脳の情報処理の限度を超える文化・文明の社会の中で生きることになり、人間の精神に問題を起こしたり、発達途上の子どもの発達をゆがめたりという問題も発生させました。
ただ高度な文化・文明により人間が得たものは計り知れないほど大きなものであり、人間社会にとっても大きなメリットを与えたものですからこれを否定することは出来ないと思います。しかし確実にこのことによるデメリットも発生していることも知らなければなりません。そして自然界の動物の一つである人間として、どのように高度文明社会と付き合うかを考える必要があると思います。